7)京都迷い人

最初の結婚は家族をつくるためだったと真昼は今なら理解できる。
真昼は暖かい家庭にずっと憧れていた。
それでも小学校の時の夢は「お嫁さん」ではなく、「デザイナー」だった。
祖母も清子からも「男はみんな狼だから気をつけなさい」と言われ続けてきたせいか、
京都でも早目に帰宅し、寮に入ってからは22時の門限があるので逆に有難かった。
結婚するまでは純潔でいたいという考えは古すぎるかもしれないが、真昼はなぜか頑なに守った。
高校時代、就職内定のクラスメートが関係者と同棲後、別れて自暴自棄になったのを見て、
自分を大切にできるのは自分しかいないと真昼はその時に痛いほど感じた。

叔父は胸を触ってきただけで翌日から何もしてこなかったが、
それでも真昼は怖くて仕方なかった。
従兄の友人の交際を断ったこともきっかけになり真昼は寮へ入った。
叔父宅からの通勤を1ヶ月もしないで入寮申し込みをしたので上司も同僚たちも訝った。
単なる真昼の我儘だと言われても新しい勤務先に真昼は本当のことが言えなかった。
いつも真昼は誤解されるのはこんなとこかもしれない。
人は都合の良い嘘をつく。親でも子でも友人でも自分の都合の良い嘘をつく。
言い訳をしたって本当のところ誰が信じてくれるのだろうか?といつも思った。
それでもアルバムをめくると楽しい想い出としてたくさんの写真がある。
壬生寺近くの叔父の家から近所まで夕飯の支度をするために買物に出かけた。
碁盤の目のようなわかりやすい地理のはずなのに、真昼は京都の町で迷ってしまったことがある。
自分で初めて着付けた和服姿で出歩いてみたかったからだった。
両手に買物袋を提げて途方に暮れたことも今では懐かしい想い出だ。
いつも笑って写っていたが、本当は淋しくて泣いていた事の方が多かった。

店は3階建て2棟続きで家具・家電・書店・服飾雑貨・衣類・食品などの売り場とテナントや銀行もあった。
横には田圃があって1,2分のところに電車・バスの駅もある今の規模でも大型店舗だった。
仕事は大型ショッピングデパートの店事務で店内アナウンスや、
電話交換室で外線と内線を繋ぎながら棚卸の計算もした。
真昼がマルチタスクがいまだに苦にならないのはそのせいかもしれない。
顔も知らない同僚数人から交際を申し込まれたりもしたが、真昼はいつも空しかった。

真昼を尋ねてたまに同窓生が観光をかねてやってくることもあり中にはKもいた。
Kは「元気だった?」と聞いてきただけで、他の友人たちの後ろに紛れた。
Kとよく学校帰りに誰の詩が好きだとか、詩の暗唱をしていたことを思い出す。
そして、この男女のグループで海水浴に行った時のことを思い出していた。
視線を感じる方を見たらタツオがいた気がしたのだ。
視力は悪いのにまだコンタクトもしていなくてメガネも外していたと思う。
真昼はぼんやりタツオと知らずに眺めていたのかもしれない。
今でも何でもっと早く気がつかなかたんだと悔やんでも悔やみきれない。
タツオを傷つけてしまったかもしれないと思いながらも、あの頃の真昼は京都行きで頭がいっぱいだった。

勤務先の店の近くに喫茶店があり、そこのピラフが美味しくて昼休憩によく通った。
アイスコーヒーを冷コーというのもこの時に知った。
真昼はこのピラフを結婚してから再現し、特に夫の同僚・部下・アルバイトや夫の甥など若い男性からも喜ばれた。
舌で憶えて再現してみるのは22歳で結婚してから役に立った。
同志社大学出身の先輩と古本屋巡りをしたこともあった。
今の真昼は古本や骨董は苦手だが、あの頃は祖母の指輪が守っていてくれたのかもしれなかった。
休日には貴船や河原町などへ連れだって遊びに行った。
今のような年中無休でなく店休日も連休の時があり、店自体のレクリエーションも多かった。
20歳になったばかりの真昼は寮と店との往復、休みには遊びに行くという繰り返しに焦燥感を感じていた。
お花とお茶を習ってみたりしたが、それとはまた違う感じがしてならなかった。
冬の粉雪が降る中を残業で遅くなった事務所の仲間たちとアイスクリームを食べながら量まで買えるのが楽しかった。
仕事終わりに都ホテルに泳ぎに行ったり、先輩や友人たちとドライブしたりした。
「ええメン連れてるな~」「そうやろ~」と対向車と話す先輩には馴染めなかったけど、
免許を持たず車にもさほど興味がない真昼にもその車がオープンカーで高級車らしいということはわかった。
人から見ると楽しそうに見えたかもしれないが、そのころの真昼には何もかもが空しかった。
慰安旅行の帰りのバスで無理やりマイクを持たせられ唄ったのがきっかけで男性2人からバンドに誘われたこともある。
男性2人と女性1人の流行っていたので、てっきりフォーク路線だと思い真昼はOKしたが、
歌謡それも演歌に近い路線だったので、何度か練習したあと空中分解してしまった。
こぶしは苦手だし、廻らないしとあとから考えても可笑しかった。
京都での生活に慣れた真昼は21歳になっていた。
その日も蒸し暑い日だった。
いつもの喫茶店で冷コーを飲みながら新聞を読んでいると興味深い求人を目にする。

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