8)メロディー

なんば花月と黒門市場の中間地点の古びたビルから新築の本社家屋への引越しの真っ最中だった。
椅子を抱えてオレンジ色に染まる飲み屋街を真昼たちは歩いていた。
「おやおや、キレイなお姉さんたち、民族の大移動かい?」
「生憎とゲルマン民族じゃないんですけどね~」
ほろ酔いの中年男性が話しかけてきたので真昼は上機嫌で応えた。
数週間前に面接を受けたのは白い壁が眩しすぎるくらいの新築のビル。
「かかってくる電話でリクエストを聞き、その曲をかけるのが仕事です」と人事部長が説明する。
寮があるのは夜間部のモニターだけだというので、真昼は迷うことなくお願いしますと答えた。
本当は昼間の勤務が望みだったが、寮は夜間部だけということで妥協したのだ。
四六時中、音楽の中で仕事ができると真昼はそれだけで嬉しくてたまらなかった。
まだ塗料の臭いがする真っ白い部屋に真昼たちが歩いて持ってきた椅子は似合わなかったが、
新しいのが届き次第、取り換えるとのことで、プレーヤーやレコードなどをのぞけば新しかった。
新しさは心まで伝染するのか、先輩社員たちも今までよりも輝いて見えた。
3階のモニタールームの大きな窓ガラスにはホテル街のネオンが南海の魚のように浮かんでいる。
「ここもお見事な環境ですこと」皮肉屋の先輩の一人が早速口火を切った。
レコードをかけながら「与作」を情感たっぷりに歌っている人だ。
ヘッドフォンをしているので気がつかないのか演奏担当の時は唄っている人が多い。
その先輩は上手だから良かったが、音痴な先輩にはみんなが困り果てていた。
男性の所長と女性チーフが一人。あとは女性ばかりで年齢も服装もバラバラだった。
以前の職場が制服だったせいもあり、真昼は解放感を感じていた。
以前の寮は例え、3畳でもガラス戸や襖ひとつで閉めてしまえば個室にはなった。
ところが、今度の寮は1DKを3,4人で住むというよりも寝るだけの和室しかなかった。
2段ベッドが2つあるだけの世間でいう「たこ部屋」だったのかと今ならわかることだった。
キッチンと狭い洋間と浴室とトイレ。マンションだったけど新旧勤務地いずれにも近く、
黒門市場が動き出す早朝に、寝なければいけない昼夜逆転の生活は真昼を消耗していった。
出勤前の時間に梅田の地下街などに最初のうちこそ外出していたが、
安らげる部屋という空間がないことに真昼は少しずつ、違和感を感じるようになった。
仕事はあいかわらず楽しかった。
リクエスト受付係が1、2名、レコードを探す担当が1,2名
レコードには色とりどりのビニールテープの組み合わせで整理されている。
演奏担当の前にはリクエストされたレコードが見つかった順番に置かれる。
洋盤コーナー1名、邦盤コーナー5~7名だったが、主なシフトで曜日によっても多少変わる。
特に人気の洋盤コーナーは週に一回しか担当できないので待ち遠しかった。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ディープ・パープルにミシェル・ポルナレフ、
ジェーン・バーキン、フランソワーズ・アルディー、聴きたい曲はたくさんあった。
ずっと洋盤コーナーが良かったが、皆もそうだった。
30分ごとにリクエスト曲を必ず入れる決まりがあったので、好きな曲は思うほど聞けない。
高校の頃、丸坊主でビートルズの「レット・イット・ビー」を気持ちよさそうに歌っていた同級生は、
今頃、ミュージシャンを志してバンド活動でもしているのだろうか?
「シュプレヒコール!」と授業中に叫んで先生やクラスメートを驚かせていたメガネの同級生は、
大学でも変わらずに学生運動に今も参加しているのだろうか?
プレイヤーに針を落とす時、いつも真昼は想い出の中にいる。
何になりたいかという夢はその頃にはもうわからなくなっていた。
小学生の頃はデザイナーになりたかった。バービー人形の洋服が高いので言い出せず、
自分でデザインしてハギレで作ったのを祖母たちに褒められ気を良くしたこともあった。
中学生の時は漫画家になりたいと思ったが、主役を描くのは楽しいけどあとは大変だと思い、
ストーリーを組み立てるのはとても高度過ぎて無理だと感じた。
Kとワーズワースの詩を暗唱しながら下校している頃はタツオと会うことを考えていた。
博多で研修中だったタツオに久しぶりに会えることを楽しみにしていたのだ。
どうして急にアルバイトから正社員を決めたのだろう?
タツオの夢は何だったのだろう?
ある日、邦盤担当の真昼の前に「京都慕情」のレコードが置かれた。
いつかタツオが唄っていたのを思い出す。
「おかしい?」少し怒ったようにタツオが聞いてきたので、笑いをこらえながら真昼は頷く。
あの時、タツオが呟いた「好きなんよ」は車の騒音に掻き消されそうで真昼には遠かった。
耳に残る調子外れなタツオの唄声に歌手の柔らかな声が重なり、真昼は伝ってくるのを指先で拭った。
そして、次のリクエスト曲とレコードジャケットの中身を確認して「京都慕情」が終わるのを待った。
                       ( 敬称略)
00240003.jpg

           

この記事へのコメント